障がいではなく、人を見よ

 

 

「障がいでなく、その子を見よ」

 

これは、

 

私が小学校教員としての駆け出しのころ、

 

先輩の先生に言われた言葉です。

 

 

 

 

その頃、担任したクラスに

 

ものすごくアンバランスな子がいました。

 

低学年とは思えないほど、

 

ものすごく知識が豊富で、

 

いわゆる知的に高い…。

 

なのに全く、友達関係を育めず、

 

毎回授業を中断せざるを得ない

 

常にトラブルの中心の子でした。

 

 

 

今の時代ならおそらく「発達障がい」。

 

そのような子がいる、

 

と社会的にも認知度がとても高く、

 

医療機関や療育の専門相談機関も

 

「発達障がい」に特化した

 

児童デイサービスもたくさん

 

見かけますが…。

 

 

 

当時は、そのような子

 

出会った人でなければ、

 

全く知られていない、

 

全く理解されない、

 

非常に生きづらい子ども達

 

であったように思います。

 

 

 

 

それでも、その時既に

 

小児科医や精神科医、

 

子どもの発達や心理に関する

 

教育の専門家は、

 

このような症例を

 

いくつも検証していて、

 

どのように接していったら

 

その子のためになるのか、

 

具体策を提示していました。

 

 

 

「どうしてこの子は、

 

 こんなふうになってしまうのか」

 

日々のトラブルの対処に

 

追われていた私は、

 

このような専門書を読み漁り、

 

書かれている症例と

 

ほとんど同じことに気づき、

 

まずは専門家に診断を…。

 

 

 

専門書と症例を照らし合わせながら、

 

職場の先生方に

 

今後のその子と保護者の方に対する、

 

担任としての指導の方向性を

 

相談したところ、

 

ある先輩の先生に、

 

「障がいではなく、その子を見なさい」

 

と言われました。

 

「その子の症例ばかりにとらわれていて

 

 その子自身を見ていない。

 

 その子にも感情があり、心がある。

 

 その子の苦しみに寄り添っているか?

 

 目に見えていることは

 

 その子の一部に過ぎない。

 

 もっと広い視野を持って、 

 

 もっと長い時間をかけて、

 

 “人として”のその子の全体像を

 

 とらえなさい。」

 

 

 

 

その時、私は心の中で

 

「その子のためを思って言ってるのに」

 

と思いつつ、黙っていました。

 

その先生の言葉が正しいと

 

思えたからです。

 

 

 

 

そして私は、本当に

 

「その子のため」だったのか

 

と考えました。

 

 

 

友達関係のトラブルは、

 

暴言、暴力、ケンカ、いじめ

 

と発展することが多く、

 

そのために授業が成立しなくなると、

 

本来の学校で果たすべきものが

 

崩れます。

 

「あの子と同じ班にしないでほしい」

 

「あの子のせいで、うちの子は勉強できない」

 

「担任は何を指導しているのか」

 

周りの子の保護者の方からの

 

苦情も絶えず、

 

負のスパイラルに陥ります。

 

 

 

 

毎日、毎日、

 

保護者の方への電話や連絡帳などで

 

トラブルの説明と謝罪に追われ、

 

授業も思うように進まず、

 

負のスパイラルから脱したくて

 

早くなんとかしなくてはと

 

とにかく、必死でした。

 

 

 

 

今振り返ると、

 

「その子のため」と言いながら、

 

自分のためだったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

時が経ち、私は教職を辞め、

 

その後様々な障がい者が働く、

 

大規模な社会福祉法人の施設で、

 

就労支援の仕事をしました。

 

その施設の後、

 

NPO法人の施設に所属し、

 

企業内で働く障がい者のための


就労支援の仕事をしました。

 

 

 

 

 

 

今現在は、フリーな立場で、

 

音楽の仕事を通して、

 

様々な障がいや重い病気を持つ

 

子ども達や大人、高齢者の方々に

 

出会っています。

 

 

 

 

 

 

 

どこに行っても、

 

どんな方に出会っても、

 

「障がいではなく、人を見よ」

 

という、あの時の

 

あの先生の言葉を思い出します。