破壊と再生

 

ここのところ、急激に町の変化を感じます。

 

オリンピック、パラリンピックのために、

 

商業施設などの建設が進み、

 

区画整理、都市開発などのための立ち退きや

 

古くなったり、誰も住まなくなったりした、

 

家屋の解体もとても目立ちます。

 

 

 

 

 

2週間前から、私の住んでいる集合住宅の

 

すぐ向かいの一軒家も解体が始まりました。

 

私は、この解体という作業がとても苦手です。

 

(自分が作業するわけではないですが…)

 

つい最近まで、そこに人が住んでいたのに、

 

大きな解体の車がやってきて、ガガガガーと地響きを立て、

 

家を破壊していくのを見ると、心がとても痛くなります。

 

わざわざ壊さなくても、まだ住めそうなのに。

 

 

 

 

 

 

そして、もっともっと辛いのは、

 

庭など、そこにずっと立っていた木を切り倒すことです。

 

木を伐採することは、家屋を解体すること以上に

 

私にとっては、なぜか心を引き裂かれる思いがします。

 

 

 

 

 

 

 

私は、地元の某駅から徒歩3分の所に住んでいますが、

 

ここ3か月くらいの間に数件の家屋が解体されました。

 

数年前から大きな道路を建設する計画があり、

 

ここへ来て、次々に家屋の解体が始まりました。

 

駅からすぐのところに、すごく温かみのある

 

ステキなお家があったのですが、

 

ある日、そこに住んでいた方が、

 

庭にたくさんのゴミ袋を出していて、

 

解体することがわかり、胸が痛くなりました。

 

そのお家の周りには、たくさんの木があり、

 

せめてこの木々は残してほしいと思いました。

 

その想いが通じてか、、、

 

2本のイチョウの木が寄り添うように残りました。

 

(今日の写真です)

 

がらんと更地になった向こうに立つ2本のイチョウ。

 

毎朝、心の中で「おはよう」と声をかけ、

 

帰りには「今日も無事に終わったよ」と

 

声をかけるようになりました。

 

 

 

 

 

 

同じように駅から自宅までの間にあった、

 

幼稚園時代の友達の家も、数年前に解体されました。

 

幼稚園を卒園する時、一度遊びに行ったことがあり、

 

その友達の家でピアノを弾いたこともありました。

 

現在は、友達のお父様しか住んでいないようで、

 

2階建てだったお家を平屋の1階に建て直しました。

 

高齢になったお父様が一人でも生活しやすいように

 

工夫されている住まいのようで、娘である友達が

 

週に何回か、そのお家(実家)に来ています。

 

 

 

 

 

時の流れとともに不便さが出てきたものは、破壊され、

 

「今」という時に見合ったものに再生されるのは、

 

必要なことなのだなと思うようにもなりました。

 

 

 

 

 

自宅前の一軒家も、今日、

 

すべての解体作業が終わったようで、

 

完全な更地になりました。

 

今まで見えなかった景色が見えるようになり、

 

まるで、私が違う家に引っ越したようです。

 

 

 

 

昨日から確定申告が始まり、先月から帳簿のまとめ始め、

 

なんとなくこの解体作業が、今の自分と重なります。

 

この1年間の働きを通して見えてくる、自分の考え方、生き方。

 

何を大切にしたいのか、どう生きたいのか…。

 

これまで正しいと思ってきた考え方や生き方を、いったん破壊し、

 

更地にするように自分の内面をリセットする…。

 

更地にはやがて、草も生え、花も咲くかもしれないように、

 

これからどうしたいのか、何を大切にしたいのか

 

少しずつはっきりと見えてくるといいな、と。

 

これがきっと、再生…。

 

 

 

 

 

 

今の私は、まだ、破壊の段階にある気がします。

 

心が引き裂かれるように痛かったり、

 

体(行動)と心(思い)がちぐはぐになっていたり…。

 

この段階は、まだ、しばらく時間がかかりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

けれど、今日も帰りに2本のイチョウの木を見て…。

 

周りに何もなくなっても、きっと、

 

変わらずに残り続けるものもある…

 

そんなふうにも思えました。